人生は割と想定外

人生は割と想定外

様々なジャンルのニッチな話題を一方的な独断と偏見で深掘りしてく雑記ブログ

マクドナルドを食うと強烈に眠くなる

人間は、何かしらに依存して生きている。以前、マクドナルドを毎日食い、ブラックコーヒーで流し込む生活をしていたが、体調がおかしくなってやめた。入院生活で割と綺麗な状態になった私の身体は、ジャンクとカフェインを求めている。


買い物で出かけた際に、マクドナルドを見かけた。相変わらず入り口には長蛇の列ができている。ふと横を見ると、悪人顔のピエロがベンチに座り、足を組み、ふてぶてしい態度で私の方を見ている。『身体に良いか悪いかは知らねえが、ウマいからお前も食えよ』と言ってる気がした。


ピエロの誘惑に負けて、私は食べてしまった。ポテトだけだったが、ウマイ。なんでこんなにウマイんだろうか。身体に悪いものはウマイ。殺人的なウマさだ。食べ終わる頃には私はピエロに感謝していた。


だが、身体は正直だ。食った直後から様子がおかしい。無理やり満腹にさせられてる感じと、強烈な眠気が私を襲う。気づいたら寝ていた。


私は不眠症ではないが、もしも不眠症になったらマクドナルドを食べよう。速攻で眠れる。また、食べてから1日経過したが、また身体が欲している。


今、ピエロに誘われたら確実にビックマックを食べてしまうだろう。

久しぶりの通勤は新鮮

 

私は今月頭に病気してからずーっと休んでいた。あと数日で2016年も終わるというのに、今日からまた仕事だ。久しぶりの通勤は色々は気付きがあった。

 

通勤は自転車を使っている。だいたい駅まで10分くらいなのだが、ママチャリなので地味にしんどい。なので新しい自転車を買った。クロスバイク風の自転車だ。

 

実はジャイアントのグラビエというガチのクロスバイクが欲しかったのだが、クロスバイクロードバイクはライトや鍵といったオプション品が一切付いてない。まるでブラックコーヒーのような仕様だ。乗る前からいくらお金がかかるかわからないので諦めた。

 

話は戻り、新しい自転車での通勤。クロスバイク風だがママチャリとは雲泥の差だった。ママチャリの時は平坦な道でも漕ぐのが辛かったが楽しい。

 

久しぶりに通る道はあの時と変わってなかった。いつも同じ場所で顔を合わせるおっさん、駅前で通勤者にロックフラワーみたいに一定の動きで挨拶する区議会議員、自転車置き場で自転車の置き方について何回も因縁つけてきたジジイ、電車じゃみんな死んだ目でスマホを眺めている。

 

今日はどんな想定外が起こるか楽しみだ。

レンタカー借りたら欠陥車で店長が400キロかけて謝罪しにきた②

①(前記事)の続き…

 

車の下を覗き込んだ私は目を疑った、というかビビって2度見した。マフラーとエンジンを繋ぐパイプがすっぽり抜けていた。ややわかりにくいのでもう少し説明すると、つなぎ目の溶接が甘くて外れていたのだ。排気ガスがマフラーにいかず、そのまま上ののぼり車内に充満するという驚きの事態に発展した。これはもう、セルフ自殺だ。しかし我々は富山に行くという壮大な計画の途中。死ぬわけにはいかない。かといって場所は長野の山奥。戻るにしても数時間かかる。まさに行くも地獄。引くも地獄。どうしようもない状況と排気ガスで皆少々頭がラリっていたかもしれない。


仕方なく店に連絡したのだが、そこは気合いの入ったヤンキー車を手配した店。そう簡単には認めないし、普通に考えてそんなことは起こるわけがない。はたから見たら我々はただのクレーマーだった。しかし、持つべきは友というか、今回一緒に旅行に参加した友人の中に、こういったクレームに得意な友人がいた。彼は高学歴で法律にも詳しく、普段は優しいのだが、揚げ足を取らせたら右に出るものはいない。彼の活躍でわずか20分後に店長を引きずり出すことに成功した。


このままの勢いでなんとか対応してほしい旨を伝えた。対応してくれることになったのだが、レッカー移動みたいなものをイメージして我々には信じがたい状況になった。それは、とりあえずこのままの状態で現地まで行って欲しいということだった。このレンタカー屋は全国展開している。が、実態としてはフランチャイズ展開のため名前貸しというか、店舗単体での運営になっており、他の店舗とは繋がりがないそうだ。結論としては東京から富山まで店長が台車を持って謝罪に来る、ということだった。


富山で予定を控えていた我々はこの提案に納得し、マフラーに穴を開けたまるで直管レベルの迷惑な轟音をかき鳴らし、富山へ向かい出発した。富山に到着し、轟音をかき鳴らしたまま観光を楽しんだ。その日の夜、レンタカー屋の店長が宿泊先へ到着した。レンタカー屋の店長というくらいだから、まじめな服装かと思ったのだが、来たのは店長ではなく、その店のオーナーだった。顔と体型は清原、服装は石田純一、足元は素足に革靴という成金のような風貌でさすがにあ然とした。開口一番、オーナーの低姿勢ぶりにやられて許してしまった。オーナーは乗ってきた車を我々に差し出した。車種は新車のエスティマで、燃料代も今回の費用も全て無料になった。クレームのパワーはすごい。


最後にオーナーが私に聞いてきた。『この近所で修理工場って知りませんか?』どうやら、自分で直して店に帰るらしい。


サービス業って大変だ。私はこのお店を今も愛用している。

 

レンタカー借りたら欠陥車でオーナーが400キロかけて謝罪しにきた①

私は車を持っていない。元々車は必要ない派だったのだが、年齢とともに家族も増え、今は子供含め4人で暮らしているので、近頃ではいつか車欲しいね、という話になってきた。そこで今回は自分への戒めも含め、レンタカー屋であった出来事を記す。


私はこの一件が起こるまでは、レンタカー=安全で安心というイメージであった。よってメジャー企業でのレンタカーは値段がどうしても高いということもあってとにかく値段が安い店を探していた。すると友人のススメで、ダンドツで値段の安いレンタカー屋を紹介してもらった。自宅から近いということもあって、数回この店舗で車を借りた。


ある時、東京で知り合った友人が地元へ帰ることになった。彼の地元は富山県で、あまり旅行経験のない私はもちろん富山は未経験であった。彼が地元へ帰った後、近しい友人何人かで車を借りて、一泊二日で富山に帰った友人に会いに行く旅行に出かけた。


車の手配は、例の安いレンタカー屋から一番近い私が担当した。今回は人数も多いから普通車を借りることになったのだが、それまでそのお店で借りたことのある車種は小型の軽自動車ばかり。免許を取得して10年以上になるが、もう何年も普通車なんて乗っていない。まあ大丈夫だろうと、当日朝レンタカー屋に行って驚いた。車がどう見てもヤンキー車なのだ。80年代ですかと思うくらい違和感を感じる車高の低さ。不自然なスモーク。マフラーなんて若干反りあがっている。私はずいぶんと気合いの入った車を借りてしまった。この車の元々の所有者はきっとピコ太郎のような風貌の方だろう。


本当はこの時点で拒否するなり他の車に変更してもらえばよかった。今後の展開なんて知る由もなく、車は出発した。集合場所は池袋で、集まったメンバーは車を見るなり、私が感じた違和感と全く同じリアクションだった。とりあえず私の車選びのセンスはゼロということで話がおさまり、車は出発した。


車はついに富山へ向けて出発した。誰も富山へ行ったことがないということもあって、どんな旅になるのか、久々に会う友人のことなど、とても盛り上がった。そんなこんなで休憩をはさみ、長野県の山奥のサービスエリアに立ち寄った時だ。休憩をはさみ、さあ出発だと思いアクセルを踏んだ瞬間、いつもと違うというか、空ぶかししたような音がした。特に何も変なことはしていないのだが、スピードの出具合も変だ。


私が違和感でトロトロ走っていると、後部座席の友人が『排気ガスのにおいがする』といいだした。確かに煙たいというか、どう考えてもおかしい。車を降りて周りを調べても特に変なところはない。私はどうしても納得できずに、車の下を覗き込んだ。恐ろしい事態が発生していた。


続く

ウンコ漏らしても遊び続けるストイックな息子

子供の成長はとても早い。日々色々な部分で成長していると感じる。と、同時に自分に似ていると思う瞬間が多くなってきた。私は胃腸がそこまで強くないので、子供の頃に数回ウンコを漏らしている。たまたま学校で漏らさなかったのが不幸中の幸いだ。


子供にとってウンコを漏らすということは、青春時代を一瞬で棒に振るに等しいと思う。だから自分の子供にはウンコだけは漏らしてほしくない、そう願い、日々子育てを行っている。


が、しかし、ついに息子がウンコを漏らしてしまった。その瞬間は突然起こった。3歳になる息子はプラレールにハマっている。電車がとても好きで、まだ字も読めないのに電車の写真を見ると名前をズバリ言い当てるのだ。私はなんて前日食べた食事すら思い出せない程の記憶障害なのに、とても自分の子供とは思えない。


息子がハマっているプラレールは親戚から貰ったもので、線路のパーツがたくさんあるので息子は部屋いっぱい線路を色々な方向につなげたりしている。いつも真剣な顔をして2時間くらい遊んでいる。私も混ざって遊ぼうとすると怒られてしまう。 


ウンコを漏らした日もそうだった。どうも部屋がウンコ臭い。最初は妻に私が屁でもしたのかと疑われたが、犯人は息子だった。私は部屋にウンコされたらたまらんと、真剣なまなざしでプラレールをいじくり倒す息子に言った。『ウンコ、換えさせてくれないか』と。

返事は、『嫌だ』


結局、2時間待った。将来が有望だ。

白髪が多いとハゲないって言った奴誰だよ

30歳を超えてから髪の毛が薄くなってきている気がしている。少なくとも毛に元気がない。それに合わせて、体毛が濃くなった気がするし、白髪もすごく増えた。大事なことだからもう一度言う。白髪がものすごく増えた。30代半ばでこの量はおかしいと思う。x japn風に言えば、もう一人で…歩けない。ってくらい辛い。

 

白髪は生える場所によってストレスがかかっている部分がわかるそうだ。私は左右のコメカミ付近で、仕事のストレスが主らしい。色々ありすぎて、それは認める。

昔誰かから聞いたような、はたまた何かのテレビ番組情報だった気がするが、私はいまだに白髪が多い人はハゲない説を信じている。なのに、全く違うじゃないか。どうなってんだよ。どうせハゲるなら、誰とは言わないがハゲ方が綺麗な芸能人みたいなハゲ方になって欲しい。

 

ハゲと無縁だった頃、もしも万が一自分がハゲたとしても、絶対にカツラなんてやらないし、カツラとかそういったアイテムを使う方は心が弱い甘ちゃんだと思っていた。そんな考えは今すぐ捨てて謝るので、どうかこれ以上ハゲが進まないようにしていただけませんでしょうか神様。

 

私は北風と、地下鉄の入り口から吹き荒れる突風が大嫌いになりました。

沖縄移住していたかもしれない話

あの時、決断していたら私の人生はどうなっていただろう。

 

なんて思うタイミングは突然やってくる。人それぞれあると思うが、人生のターニングポイントな一つ、沖縄移住していたかもしれない話。

 

当時私は今とは違う仕事をしていて、そこの会社は沖縄でも事業展開している会社だった。前職に比べて大幅に給料も上がり、かつ小規模だったのでとにかく縛りがなく自由だった。

 

ガチガチに縛りありの会社に勤務していた私は、嘘のような自由すぎる光景に戸惑いながらも、充実した毎日を過ごしていた。

 

入社1カ月を過ぎた頃、研修と称した社員旅行に行くことになった。行き先は沖縄で、沖縄にある事務所のメンバーや地元で世話になっている企業との交流会半分、もう半分は旅行みたいな感じだった。

 

話が長くなるのでまた沖縄ネタがあれば話すが、本土の人間が沖縄に憧れて移住するケースが多いらしいが、大部分が失敗して帰る場合が多いそうだ。遊ぶと住むは大違い、みたいな感じだそうな。あと、本土の人間が地元の人材を使って国からの補助金をかすめ取る輩もいるとか。沖縄メンバーの笑顔とは裏腹に、話の内容に深い闇を感じた。

 

そんな研修旅行を経てわずか2カ月あと、沖縄メンバーが退職することになった。事情は知らないが、雰囲気からは地元企業に引き抜かれる臭いがプンプンしていた。会社の方針もあり、沖縄事業は継続するらしく、人員確保の話になった。たまたま冗談で代表からやんわり沖縄の打診があった。

 

私は既婚で子持ちだし、妻がNG出すと思った。慣れた土地を出るのも微妙だった。ところが予想に反して妻が行きたいと言い出した。理由を聞くと、妻は本土最北端のマグロ漁が有名な地域の出身で、沖縄のような年中暖かい地域には行ったことがない。加えて会社都合でいけるのは逆にラッキーだと言っていた。自然に囲まれた中の生活だから子供にとっては良かったかもしれない。

 

結局、その後会社のあまりに自由な方針と私の性格の不一致で仕事を辞めてしまったから今はどうなったか知らない。もし沖縄行きを選んでいたらどうなっていたのだろうか。

 

人生、つくづく何が起こるかわからない。

医療費が高額過ぎてヤバい

退院してから約2日位が経過した。トータルで2週間程入院していたのだが、私個人としては全く実感が湧かない。いまだ浦島太郎の気分である。

 

私の勤務先はありがたいことにとても寛容な対応なので、仕事復帰は週明けからということになっているのだが、復帰して数日後には年末年始の休みに突入する。その辺のフリーターより休んでいる。


医療費の支払いに病院へ行ってきたのだが、、、値段を見て驚いた。今回の入院でトータルで30万くらいの出費となってしまった。しかもこの値段は健康保険が適応されての額だ。

 

笑えない。20代の頃はその日暮らしの生活をしていたので、保険なんて入ってなかった。もしもその時に入院していたらと思うと、たぶん首を吊っていただろう。


私はお金を持つと使いきるまで散財してしまうので、お金の管理は妻がやっている。我が家でそのような錬金術が行われているか全く知らない。今回の入院を通して、初めて結婚して良かったと感じた。

 

結婚してから、数えきれない程の理不尽な要求に耐え、毎月のお小遣いのカットに耐えてきた甲斐があった。これだけの出費が出たのだから、今よりも数倍の圧力でさらに妻の理不尽な要求が増えるだろう。


耐えきれずストレスで再入院しそうな予感がしている。

中華界のビッグ3、ラーメン・チャーハン・天津丼

よく、○○界のビッグ3なんて言葉がある。お笑い界のビッグ3といえば、たけし・タモリ・さんま。車業界のビッグ3といえば、トヨタ・VW・GM。じゃあ中華料理は何だろう。

 

先日、ナメックというアダ名で呼んでいる友人と食事をすることになった。ちなみにナメックという名前は、知り合った当時の服装が全身緑というところからきている。ナメックは普段無口だが、たまに発する言葉が全てパンチライン級の面白さなのだ。

 

パンチラインとはヒップホップ用語で、特定のフレーズや言葉を聞くだけでどのラッパーかを想像できるくらい印象的な言葉を指す。例えば、ラッパーのジブラなら『東京生まれヒップホップ育ち 悪い奴は大体友達』など。

 

そんなナメックと何を食べようか、という話になった。ナメックはとんかつ屋と中華料理屋を提案してくれた。タイミングの悪いことに、私はあまり食欲がなく、どちらも微妙だった。ただ、中華なら種類もあるし多少サッパリ系もあるかと思い、中華を選んだ。が、ナメックは明らかにとんかつが食いたそうだった。

 

私は彼に気を使い、とんかつにしようか?と提案したが、彼も私に気を使い中華にしますか?と、無駄に気を使い合う攻防戦の中、ナメックが一言、『中華界のビッグ3って知ってますか?ラーメン、チャーハン、天津丼ですよ』と切り出した。私はそのパンチラインでヤラレてしまい、中華屋に決めた。

 

しかし私は天津丼は食べたことなんてないし、どんな食べ物かイメージできなかった。ましてや天津丼が中華界のビッグ3なわけねーだろ、と心の中でツッコんだが、そんなこんなで近所の中華屋で天津丼を食べた。

 

本場の中華屋はカニが入っているが、ここのはカニカマだった。しかし、ナメックの言う通り、ウマい。クソうまかった。丼に楕円状のやや厚めの卵焼きがのり、周りを甘じょっぱいタレが絡まり、キラキラ輝いていた。カニカマだったけど、もはやどうでもよくなっていた。私はむさぼるように食べ、満腹で最高の気分だった。

 

するとナメックが、『すいません。俺、天津丼食べたの初めてっす。』

 

やっぱナメックは最高のマイメンだ。マチガイナイ。

輸血をしたら、体内感覚が変わった話

昨日、ついにというか、やっと退院した。久々の自宅。突然入院したあの日から、何も変わっていない。なんだかんだ家は落ち着く。

 

私には3歳と5ヶ月の子供がいる。変わったことといえば子供が思った以上に成長していた。成長が早すぎて進化に近いかもしれない。上の子は電話応対ができなかったが、退院時の電話でははっきりと受け答えをし、冗談まで飛ばしていた。下の子は顔が変わっていた。もはや骨格が違う。本当に私の子供なのか。

 

と、同時に私が劣化したのか、退化したのかわからないが、シャバに戻ってから様々な変化を感じた。メシの量が以前より減り、夜9時を過ぎたら眠くなり、臭いに敏感になった。シャバは、臭い。長期入院するとこんなにも変わるだなんて、、、

 

そういえば、私は入院中に輸血を二回くらいやったのだが、輸血で性格や体質が変わる人もいるらしい。このブログを始めたのも、輸血後であるし、割と飽きっぽい生活ながら、まだ続いている。果たして輸血が原因かどうかは、しばらく様子を見るとしよう。